4月9日(火)「佐倉 さんさく 1 」 更新2013年4月17日

 

サムライの古径ひよどり坂と武家屋敷ご紹介です。
国立歴史民俗博物館の八重桜の横を通り10時40分、ひよどり坂に向かいます

(×画像が表示されない場合は、お手数ですが右クリック=×画像表示クリックしてください)



坂道を下り30分、11時10分ひよどり坂に到着です。

長さ約160メートルで、急傾斜のため、源義経が急斜面を下って平家を倒した
「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」にちなんだという説と、
ひよどりがよく鳴いたので命名されたという説があるが、
江戸時代から「ひよどり坂」と呼ばれたという。(4月7日朝日新聞)



(左)坂の途中振り返って、(右)武家屋敷側からは下り坂になります。


ひよどり坂から5分ほどで佐倉武家屋敷に到着です。
旧河原家(県指定文化財)・旧但馬(たじま)家(市指定文化財)
旧武居(たけい)家住宅と3軒の武家屋敷があります。
当時の藩士の住宅は、藩が造作を行い、藩士に貸し与えていました。
そのため、間取りや様式が身分によって細かくきめられており、
質素倹約を旨として建てられています。 3軒の屋敷は、それぞれ格式、
石高などが違うので、比べながら当時の藩士の生活をしのぶことができます。



旧河原家(県指定文化財)敷地759坪
佐倉に残されてる武家屋敷中では、最も古いものと思われます




旧河原家住宅は室内に入れませんが、外側から室内に飾られた江戸時代の調度品など見られます。




旧但馬家住宅(県指定文化財)腕木門 敷地340坪




旧但馬家は室内見学できます。



旧武居家住宅【小屋敷】 敷地290坪  室内見学できます。



旧武居家住宅「天保の御制」と呼ばれる居住の制における
百石未満の藩士が住む小屋敷の規定と家屋の規模が一致してます。
幕末にこの屋敷に居住していたと考えられる田島伝佐衛門は、
90石の禄高であり、これも「天保の御制」と一致してます。



旧武居家住宅内には、武家屋敷地から出土した昔の陶磁器や
藩士の生活に関する資料などが展示されてます。


「佐倉 さんさく 2」 順天堂記念館・旧堀田邸後日更新予定です。

*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

4月11日15時過ぎ娘から電話、長男が体調崩して念のため入院、至急上京依頼、
11日は元気なかった長男、12日午前中見舞うと体調回復一安心!。
娘の勧めで午後「根津神社のつつじまつり」(13日ブロブでご紹介)へ、
12日夕方長男退院できたので、13日帰宅、11日に更新予定だった「佐倉 さんさく1」
途中なので14日には更新したいと思いPC作業中、13日23時過ぎ娘から電話、今度は二男が
ウイルス性腸炎で脱水症状、緊急入院(2日前から掛り付けの医院に掛ってたのに、、)
14日早朝再び上京、二男は3日間の入院で昨日(16日午前中)無事退院♪
活発な孫2人の突発事態に、おろおろの6日間でした。
帰宅の支度してると、六義園のつつじも、そろそろ見ごろかも寄ってから帰宅してはと勧められ、
六義園(16日ブログでご紹介)へ7、8分咲いてるのも数本、2、3分咲、まだ蕾が固い木も沢山でしたが、
心配ごとも解決、園内ゆっくり散策できる事に感謝の一日でした。

最後までご高覧いただきましてありがとうございました。

インターネット、パンフレット記載事項等一部引用させていただきました。
*誤表示等お目に止まりましたらお手数ですがご連絡お願い致します

inserted by FC2 system


inserted by FC2 system