♪「日本三名園」の一つ水戸偕楽園、日帰りの旅当選♪更新2011年3月1日
  昨年11月パン屋さんの「お客様大感謝祭!トラベルキャンペーン」に応募、
友人K子さんも当選♪2人で2月23日参加しました。
  9時茨城県那珂湊漁港に到着お買い物タイム
本日の添乗員のW君です、岐阜県出身61年生まれ昨年添乗員の仕事に就いたばかり、頑張ってね!




千波湖西駐車場に10時到着、徳川斉昭公と七郎麻呂(慶喜公)・(右)徳川光圀公の像です。




偕楽橋を渡って偕楽園の梅林へ。
橋の下は道路とJR常磐線の線路があります。





千波湖西駐車場から偕楽園東門まで徒歩で約10分です。
第115回【水戸の梅まつり】2月20日〜3月31日(木)開催中です。
偕楽園は天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭公(1800〜1860)によっさて造園されました。
斉昭公は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民とともに楽しむ場にしたいと願い、
「偕楽園」を造りました。約13haの園内には約100品種・3,000本の梅のが植えられ、
全国でも有数の梅の名所として知られ、早春には多くの観梅客でにぎわいます。






水戸の六名木の1本「白難波」です。





「2011年水戸の梅」大使さん。 笑顔が素敵な大使さんと記念撮影♪



好文亭
徳川斉昭公により、偕楽園内に休憩所として建てられたもので、
素剛優雅な外見は水戸武士の風格がただよう建築です。
この名は梅の異名「好文木」に由来し、その三階の楽寿楼からの眺望は見事です。




【奥御殿】10室からなる質素な平屋造りです、各部屋名にちなむ襖絵は、
東京芸大の須田きょう中(きょうちゅう)先生・田中青坪(せいひょう)先生の作です。
菊の間・・・・・・・・・・桃の間
総板敷きで、調理室として利用された。




つつじの間・・・・・・・桜の間・・・・・・・萩の間
藩主夫人お付きの婦人たちの詰所として使用されました。




松の間・・・・・・・・・・・紅葉の間
松の間は藩主夫人の座所及び奥対面室として使用されたました。
紅葉の間は控の間でした。




竹の間・・・・・・・梅の間・・・・・・・清の間
この三室は、明治2年に城下棚町の中御殿から移築したもので、
斉昭夫人の貞芳院が明治6年まで住んでいました
  梅の間は奥御殿中最も高貴な部屋で、明治以降、
皇族来亭の折りには休息室として使用されました。




松の間廊下から桃の間の屋根下に斉昭自筆の「好文亭」扁額が見えます。




急勾配の階段を登ると2階に3畳の武者控室警護の侍が控えた部屋があります。




楽寿楼 三階正面8畳の正室。東南西三面からの眺めは素晴らしいです。
梅の花満開、桜、つつじの季節の眺望も素晴らしいとおもいます。





楽寿楼の北側に配膳用昇降機(斉昭公の創意工夫)
階下で作ったお膳や酒肴を運搬する滑車式式昇降機(いわゆるエレベーター)があります。




3階と1階を滑車を使って料理の上げ下げを、1階にお膳運搬装置があります(右)。
お膳を運ぶのに階段を上下しなくてもすむように、この装置が利用されました。
今日のエレベーターの先駆ともいうべきもので裂公の創意によるものと伝えられてます。




何陋庵(かろうあん)
水屋付属の4畳半の簡素な草庵風の茶室。長押には斉昭自筆の「何陋庵」額が掲げられてます。



待合
この待合は茶席に招かれた客が席の準備ができるまで控えて待ってたところです。
この接掛待合というのは全国的にも極めて珍しいものです。

 


  水戸ドライブイン2階で水戸名物の納豆つきランチをいただきました。
午後ジュエリーステーション見学(こちらは高根の花、、)

 


(左)こちらの写真は2004年3月2日偕楽園です。
(右)スカイツリー(2月20日594b、更新日3月1日もう601b!)を横目に17時半千葉着でした。



今回もお天気、気温にも恵まれ、高速道路もスイスイで車中のお喋りも楽しく過ごせました。
偕楽園散策に時間にゆとりがあったら最高でしたが、、、♪(楽しい旅にご招待いただき感謝です)

★お時間ございましたら素敵な「水戸の梅大使」さんや、土日祝日は水戸黄門漫遊一座による無料写真撮影いかがですか?。
 ★偕楽園梅まつりは3月31日(木)まで開催中です。開花状況等詳細は【水戸観光協会】 さんのホームページでどうぞ→
説明文等偕楽園ガイドマップ、水戸観光協会さんHP引用させていただきました。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
 *誤表示等お目に止まりましたらお手数ですがご連絡お願い致します*

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